
 |
会員番号0109/hanamaさんよりの寄稿
|
(1)序
落語の「死神」という噺は、「赤い鳥」でも有名な北欧民話「ろうそくをつぐはなし」からの翻案であろう。
死のうとしていた主人公の許に、死神が現れて、死ぬのを思い留まるように説得する。そして主人公に、病気を治す呪文を伝授するのだが、それは、病人の寝床の足元に死神が立っている時にこの呪文を唱えると、死神はたちどころに消え失せ病気は全快するというものだ。しかし、死神が枕元に立っている場合にはもう助からないので、この患者はもう治らないと告げればよい。そうすれば、生き死にを100パーセント言い当てることのできるお医者様と評判になるという寸法。ある時、主人公は大金を積まれて、どうしても病人を治してくれと頼まれる。しかし、死神は病人の枕元に立っている。そこで主人公は、一計を巡らす。布団の四隅をもって、それっとばかりに反転させたのだ。死神はまんまと一杯食わされてしまう。しかしその後、死神が怒って主人公のもとにやってきて、不思議な洞窟へと連れて行く。そこには長いのやら短いのやら、灯火の点った無数のロウソクが所狭しと並んでいる。ロウソクの長さが残りの寿命を示しているのだ。主人公のロウソクは今にも消えそうなほど短くなっている。主人公は死神のスキをみて、自分のロウソクに長いロウソクを継ぎ足してしまう……。
と、いうような話なのだが、死神が主人公に呪文を伝授したり、寝床を回転させて死神を出し抜いたり、命のロウソクの洞窟など、北欧民話と同じである。北欧民話がなぜ、落語に翻案されたのか?というのはなかなか興味深いところではあるが、ここでこの落語を採り上げたのは、北欧民話との関連について考察するためではない。実はこの話の大筋とは関係のない、挿話について述べたかったのだ。
先日、テレビのチャンネルを回していると、小朝師匠が「死神」をやっていた。その中で、死神が主人公にこんなことを言う件があったのだ。
大意
人間は欲張りなので、自分の寿命では満足せずに、馬・犬・猿からそれぞれ寿命を奪い取った。だから、人は人間の寿命の間は、人間らしく暮らせるが、馬の寿命になると馬のように……。犬の寿命になると犬のように……。猿の寿命になると、猿のようにボーとしていることになる……。
この話を聞いて、はて、どこかで聞いた記憶があると思い、イソップ寓話集をぱらぱらとめくっていると、果たせるかな、そこにこんな話があった。
- 一三九 馬と牛と犬と人間
- ゼウスは人間をお作りになった時、それを寿命の短いものとされました。しかし人間は自分の分別で以て、冬が来た時に、自分で家を建ててそこで暮らしていました。ところが或るとき寒さが厳しくなって、そのうえ雨が降るので、馬は我慢し切れずに走って人間のところに来て、どうか自分に宿を貸して下さいと頼みました。と、人間はもしお前の寿命をいくらかわけてくれたら、そうしてやるが、でなければいやだと言いました。馬は喜んで譲りましたが、その後間もなくして、また牛が自分も嵐に辛抱ができないでやってきました。人間は同じようにおま前の寿命を幾年かくれなければ、それまでは家にいれてやらないと言いましたので、牛もまた自ら進んでいくらかやって入れて貰いました。最後に犬が寒さのために死にそうになってやってきました。そして自分の寿命をいくらかわけてやって宿らして貰いました。こういうわけで、人間は、ゼウスから貰った歳のうちは無邪気で善良であるが、馬から貰った歳になると、法螺吹きで高慢ちきであり、牛の歳に達すると、支配することに通じ、犬の歳にはいると、怒りっぽく口やかましくなることとなったのです。
この話は、怒り易く気むずかしい老人に対して用いることができましょう。
(イソップ寓話集 岩波文庫 山本光雄訳)
恐らくこの挿話は、小朝師匠が独自に取り入れたものであろうが、イソップ寓話の『馬と牛と犬と人間』からの翻案であることは、間違いないであろう。つまり、日本古典芸能である落語「死神」は内容もさることながら、構成も、北欧民話に、南欧はギリシアで生まれたイソップ寓話を挿入するという、時空を超えた一大スペクタクルなのである。
イソップ寓話と言えば、「兎と亀」や「金の斧、銀の斧、鉄の斧」など、日本民話と間違えられる程、有名な話もあるが、その他にも、あまり有名ではないが、知らぬ間に日本の話の中に浸透しているというものも、かなりあるのかもしれない。